日本の考古学:
2004年

ほか「日本の考古学」の年月別目次

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past 日本の考古学


縄文人の由来は多様?歯の特徴、東海と関東で大違い
京都大大学院の橋本裕子・研究員(自然人類学)
発掘された482人分の歯の特徴を分析 東海地方と関東地方では大きな違い
長崎市内で開かれている日本人類学会で6日発表
縄文晩期(紀元前1000年以降)の愛知県内の5遺跡と岡山県内の 1遺跡、縄文後期(紀元前2000—1000年)の千葉県内の2遺跡と 茨城県内の1遺跡の計9遺跡
比較したのは、前歯の裏のくぼみの有無、奥歯の形など計15項目で、 遺跡が異なっても同じ地域で出土した歯の形状は酷似していたが、 地域が異なると、特徴の違いが大きくなる傾向が顕著だった。
橋本研究員によると、調査対象の遺跡は摂取食物が異ならない、いずれも 沿岸部地域で、歯の形状の違いは、食べ物の違いに由来するものではなく、 遺伝的な違いを反映していると考えられるという。
縄文時代の人骨を巡っては、これまでも頭骨の特徴から地域差の存在が 指摘されてきたとはいえ、「縄文人骨」とひとくくりにされる傾向が強かった。  
2004/11 (読売新聞)
縄文系は秋、弥生は春に濃い?日本人の精子に2タイプ
日本人男性の精子濃度には季節変動があり、遺伝情報を担うDNA(デオキシリボ核酸)の特徴から 2月以降に濃くなるタイプと7月ごろから濃くなるタイプに大別されることが、徳島大学大学院医科学 教育部の中堀豊教授、聖マリアンナ医大の岩本晃明教授らの研究でわかった。  
2004/09 (読売新聞)
重文に大穴…巣作りのムササビ、春日大社建物かじる
2004/07 (読売新聞)
ネットに文化遺産3千点  デジタル博物館「文化遺産オンライン」がスタート
 2年後、1千館結ぶ計画 文化庁
2004/04 (時事通信)
大王の石棺どうやって運んだ  重さ6トン「ピンク石」 熊本「大王のひつぎ実験航海実行委員会」
2004/03 (時事通信)
縄文人も山焼きでクリ育成 微粒炭と花粉を分析
2004/02 (共同通信)
旧石器時代住居跡全国19か所のうち、4か所に誤認の可能性  日本旧石器学会会長発表
2004/02 (読売新聞)

聖嶽遺跡疑惑


大分・聖嶽洞穴ねつ造報道訴訟:名誉教授自殺、文春の敗訴確定へ
2004/07 毎日新聞
聖嶽遺跡名誉棄損訴訟 ねつ造疑惑報道文春が2審も敗訴
2004/02 (読売新聞)(毎日新聞)
 

年代測定


弥生時代の始まりは紀元前10世紀後半 土器測定で歴博
2004/09 asahi.com : サイエンス
弥生開始、やはり前10世紀 歴博が再反論、論争続く
 「弥生時代の始まりは紀元前10世紀」との研究成果を昨年5月に発表した国立歴史民俗博物館 (千葉県佐倉市)の研究グループは8日、九州大グループが今年7月に「定説通り紀元前5世紀ごろ である」とした測定結果について「歴博の測定を否定せず、むしろ追認する」との見解を示した。
 歴博の藤尾慎一郎助教授は「異なる見解が出た原因は、根拠とした試料の性格や数値の読み方など の違い。誤差の範囲を広げれば矛盾はない」としており、弥生時代の始まりをめぐる議論は今後も続 きそうだ。
 歴博は佐賀県・菜畑遺跡の土器などに付いた炭化物を分析。これに対し、九大グループは福岡県・ 曲り田遺跡から出土したシカの骨を、弥生の始まりを示す試料として歴博と同じ放射性炭素年代測定 法で分析した。  
2004/09 (共同通信)
弥生の始まり、紀元前10世紀後半…土器測定で追認
 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループは27日までに、弥生時代最古の土器である九 州北部の山ノ寺式、夜臼(ゆうす)1式土器計2点の放射性炭素年代測定を完了した。
 その結果、弥生時代の始まりは紀元前10世紀後半ごろになるという、これまで同グループが主張し てきた年代が追認されたとしている。
 これまで、同グループは縄文時代最終末の土器と、弥生時代最古の次の段階の土器の年代から、弥生 時代の開始期を推定していたが、弥生最古の土器の年代でもそれが裏づけられた。
 弥生時代は従来、紀元前5—4世紀ごろに始まったとされてきたが、同グループが昨年5月に、AM S法と呼ばれる新しい放射性炭素年代測定によって、それより約500年早まるとする測定結果を発 表。学界で論争が続いている。  
2004/08 (読売新聞)

大陸・半島


「卑弥呼の鏡」中国製と成分一致、産地論争に一石
2004/05 (読売新聞)
「卑弥呼の鏡」を3次元データ化のシステム開発「三角縁神獣鏡」
2004/05 (読売新聞)
卑弥呼の鏡:金属組成は中国製と酷似 最先端装置で分析
2004/05  毎日新聞

past 高松塚古墳


高松塚壁画 男子像は悲恋のプリンス 天武天皇の皇子「穂積親王」 蓋の色で推定
2004/10 (産経新聞)
高松塚古墳の墳丘発掘開始=再整備データを収集−文化庁
2004/10 (時事通信)
<高松塚古墳>墳丘の発掘調査始まる 国宝壁画の保存が目的
2004/10 (毎日新聞)
高松塚古墳壁画にまたカビ=西壁の男子群像に−薬剤で処置・文化庁
2004/09 (時事通信)
<高松塚古墳>極彩色壁画の上にカビ発生
2004/09 (毎日新聞)
高松塚古墳の壁画にカビ再発、絵画部分に及ぶ
2004/09 (読売新聞)
<高松塚古墳>壁画劣化問題で発掘調査 準備作業始める
2004/09 (毎日新聞)
<高松塚古墳>保存方針再検討へ 壁画はぎ取りや石室解体も
2004/08 (毎日新聞)
はぎ取り含め再検討へ=高松塚壁画の保存方法−文化庁
2004/08 (時事通信)
高松塚古墳の壁画劣化は広範囲、5か所で剥落も
2004/08 (読売新聞)
<高松塚古墳>石室のしっくいはがれ落ちる
2004/08 (毎日新聞)
高松塚古墳からガラス玉3個=32年ぶりの出土品−奈良
2004/07 (時事通信)
高松塚壁画を守れ 「白虎」色あせ…有効な手だて見当たらず
2004/07 (産経新聞)
退色が進む高松塚古墳の壁画、飛鳥美人もしみだらけ
2004/06 (読売新聞)
高松塚古墳の「白虎」壁画が劣化 発見32年、石室環境 原因?
2004/06 (産経新聞)
高松塚の白虎像が著しく劣化、文化庁が積極対策講じず
2004/06 (読売新聞)
<高松塚古墳>国宝壁画の白虎が激しく劣化 奈良
2004/06 (毎日新聞)
高松塚、神秘の青はアフガンの宝石ラピスラズリ
2004/05 (読売新聞)
<高松塚古墳>壁画の青色に「ラピスラズリ」使用か 国内の古代絵画で初確認
2004/05 (毎日新聞)
「高松塚」の再来遠く…キトラ古墳切手が大量売れ残り
2004/04 (読売新聞)





past キトラ古墳


キトラ古墳壁画の全面はぎ取り、委員の過半数が容認
2004/09 (読売新聞)
キトラ古墳 白虎の壁画はぎ取り終了 奈良
2004/09 (毎日新聞)
<キトラ古墳>白虎の壁画はぎ取り終了 奈良
2004/09 (毎日新聞)
白虎はぎ取りに成功=緊急処置が終了−前脚再接合「心配ない」・キトラ古墳
2004/09 (時事通信)
キトラ古墳「白虎」、前脚と胴体を分割してはぎ取りへ
2004/09 (読売新聞)
キトラの「白虎」分割し剥ぎ取り 剥落進行で
2004/09 (産経新聞)
しっくいもろく乾燥=白虎前脚、樹脂で強化へ−「触れれば落ちそう」・キトラ古墳
2004/09 (時事通信)
<キトラ>しっくいが急速に劣化、白虎は絵を分割へ 文化庁
2004/09 (毎日新聞)
キトラ被葬者は北枕? 大王クラス特有の埋葬
奈良県明日香村のキトラ古墳(七世紀末−八世紀初め)の石室内の被葬者が「北枕」で葬られていた 可能性の高いことが二十一日までの、発掘調査による人骨の出土状況から分かった。北枕は現在でも遺 体安置の際に見られるが、古代では三世紀以降の大型前方後円墳で採用され、大王特有の埋葬方法との 説が有力。一方で同時期に出土した大刀の金具の金象眼細工などからも被葬者の身分の高さが推定され ており、皇子クラスとみられるキトラ古墳の被葬者像を浮き彫りにする資料になりそうだ。
 これまでの石室(南北長約二・四メートル)の調査では、床面北側から歯のついたままのあごの骨一 点と歯三本、頭蓋骨(ずがいこつ)の一部約十点が出土。
 石室内の人骨は、盗掘や石室内に流れ込んだ雨水のため、埋葬当初の場所から移動しているが、石室 北半分では足の骨と明確に分かるものは見つかっておらず、頭部を北にして葬られた可能性が高いとい う。
 北枕は、釈迦(しゃか)が入滅(死去)するときに頭を北に向けて横になったと伝えられることに由 来し、現代でも遺体を安置するときには頭を北側に置くしきたりがある。
 ただし、仏教導入前の古墳時代の北枕については、天皇は常に家臣に対して南を向く「天子南面す」 という古代思想につながるとの見方が有力。北枕にすることで、被葬者の上体を起こしたときに顔が南 を向くように、との意味が込められたという。
 中臣鎌足(なかとみのかまたり)(六一四−六六九年)の墓とされる阿武山古墳(大阪府高槻市) は、棺の南端で頭蓋骨と枕が見つかったことから「南枕」とされている。
 ■置田雅昭・天理大教授(考古学)の話 「古墳時代、北枕で葬られるのは大王墓に限られ、キトラ 古墳の被葬者も天子に近い位置にいたため、北枕になった可能性もある。一方、阿武山古墳が南枕なの は、鎌足は有力者であっても天子ではなかったから区別されたのかもしれない」  
2004/08 (産経新聞)
キトラ古墳、はぎ取った壁画など奈良文化財研に搬送
2004/08 (読売新聞)
キトラ古墳 修復へ壁画を搬出
2004/08 (産経新聞)
キトラ古墳の壁画4片、奈良文化財研究所で一時保管へ
2004/08 (読売新聞)
キトラ壁画 青竜はぎ取る 白虎は泣き別れの可能性も
2004/08 (毎日新聞)
大物「青竜」もはぎ取り成功=奈良・キトラ古墳
2004/08 (時事通信)
キトラ古墳「青龍」のはぎ取りに成功
2004/08 (読売新聞)
キトラ古墳・十二支像の「亥」壁画、取り外し中止 緊急性低い
2004/08 (毎日新聞)(読売新聞)
<キトラ古墳>極彩色壁画 きれいに最初のはぎ取りが完了
2004/08 (毎日新聞)
キトラ古墳壁画保存、十二支の戌像のはぎ取りに成功
2004/08 (読売新聞)
壁画はぎ取り来月2日から=緊張の作業、国内初−奈良・キトラ古墳
2004/07 (時事通信)
<キトラ古墳>一般向け発掘調査報告会 24日に開催
2004/07 (毎日新聞)
人骨、被葬者は40−70歳 キトラ古墳
2004/07 (産経新聞)
<キトラ古墳>青竜などの壁画、石室外で修復 文化庁調査委
2004/07 (毎日新聞)
キトラ古墳はぎ取り保存、苦渋の結論
2004/07 (読売新聞)
 青龍と白虎、十二支の戌・亥像のはぎ取り決断
キトラ古墳、浮き上がり広がる亀裂 来月、壁画はぎ取り修復
2004/07 (産経新聞)
<キトラ古墳>「出土品は高松塚と共通」 文化庁、発掘終了
2004/07 (毎日新聞)
キトラ古墳の発掘調査終了 金具に金象嵌装飾
2004/07 (産経新聞)
キトラ古墳の壁画保存で一部はぎ取る方針
2004/07 (読売新聞)
<キトラ古墳>壁画「はぎ取り保存」検討 劣化懸念
2004/07 (毎日新聞)
<キトラ古墳>琥珀製の玉2点が出土 文化庁発表
2004/06 (毎日新聞)
キトラ古墳から骨片・歯・棺金具、被葬者特定に期待
2004/06 (読売新聞)
キトラ古墳壁画のカビ除去に成功、発掘調査再開へ
2004/06 (読売新聞)
キトラ古墳:壁画自体に白カビ 発掘作業を中断して処置へ
2004/06 毎日新聞
キトラ古墳、応急措置=特殊紙ではく落防止−奈良
2004/05 (時事通信)
<キトラ古墳>石室の発掘調査に先立ち壁画の応急措置
2004/05 (毎日新聞)
<キトラ古墳>しっくいが壁から浮き上がり危機的状況
2004/05 (毎日新聞)
東壁の青龍に亀裂=修復「予想以上に困難」 専門家、初の石室内観察・キトラ古墳
2004/05 (時事通信)
<キトラ古墳>寅が右手に持つ「矛」に注目
2004/04 (毎日新聞)
四神の下に十二支像=文化庁調査団が赤外線撮影−奈良県明日香村のキトラ古墳
2004/04 (時事通信)
キトラ古墳「寅」像に房飾り付き矛、赤外線写真で判明
2004/04 (読売新聞)
<キトラ古墳>赤外線撮影で獣頭人身像の寅などの顔くっきり
2004/04 (毎日新聞)
キトラ墓道にレール4本=高松塚と共通点−石室の築造状況判明・奈良
2004/04 (時事通信)
奈良・明日香村のキトラ古墳、石室外観を初公開
2004/04 (読売新聞)
壁画はカビ被害無事=キトラ古墳、東壁にも−文化庁
2004/03 (時事通信)
キトラ古墳石室内にカビ、壁画には影響なし
2004/03 (毎日新聞)
キトラ古墳石室内にカビ、環境変化が原因か
2004/03 (読売新聞)
4月上旬に石室内立ち入り キトラ古墳から漆片と金具出土
 銅に金メッキを施した金銅製品で飾った漆塗りの木棺が納められていた可能性
2004/02 (読売新聞)(時事通信)(毎日新聞)
<キトラ古墳>漆片出土 漆塗木棺の破片か 奈良
2004/02 (毎日新聞)
奈良・キトラ古墳の本格調査、墓道の発掘開始
2004/01 (読売新聞)
キトラ古墳、2年ぶり文化庁調査@奈良・明日香村  石室内北壁の玄武無事
2004/01 (読売新聞)(時事通信)(毎日新聞)

past 近畿

先史時代


弥生中期の区画建物群が出土…滋賀・下之郷(しものごう)遺跡
2004/12 (読売新聞)
最古級の丸木船 完全な形で出土 琵琶湖・入江内湖(いりえないこ)遺跡 縄文時代前期針葉樹製
2004/04 (時事通信)(毎日新聞)(読売新聞)
弥生土器に躍動的な竜の絵 大阪府・八尾南遺跡
2004/01 (共同通信)

古代・古墳


占いの「卜」の文字か=最古級、3世紀の刻書土器−滋賀
2004/09 (時事通信)
最古級の2段築造=「石垣」巡る方墳−舒明天皇陵などの源流か・奈良
2004/09 (時事通信)
マルコ山古墳は六角形墳、飛鳥地域で初…皇子の墓か
六角形墳は全国でわずかに数基知られているだけで、飛鳥時代の皇族や貴族の墓が集中する飛鳥地域で確認されたのは初めて。  当時、天皇や皇太子は八角形墳に葬られており、それに次ぐ地位の皇子の墓とみられ 古代中国の思想・道教で、八角形は宇宙を表し、六角形はこれに準じて世界を示す。この思想に基づき、中国の皇帝は八角形、皇 太子や諸侯は六角形の建物を造営したとされる。 
2004/12 (読売新聞)
墳丘ぐるり石敷き排水施設 奈良・明日香村マルコ山古墳
2004/06 (共同通信)
奈良・赤尾崩谷(あかおくずれだに)古墳群から玉類1万2千点  5世紀末、渡来系豪族埋葬か
2004/06 (読売新聞)(毎日新聞)
最古級のくら出土 5世紀中ごろ以前 木製  奈良香芝市・下田東遺跡
2004/04 (時事通信)
5世紀後半のほうき出土 日本最古@奈良・橿原市西新堂遺跡  これまでの確認例より約300年さかのぼる
2004/03 (読売新聞)(時事通信)(毎日新聞)
被葬者復顔 古墳時代中期の人骨から 縄文人より彫り浅く 滋賀・高島町打下古墳
2004/02 (時事通信)(毎日新聞)
アカハゲ古墳@大阪河南町 3段の墳丘持つ大型方墳と判明
2004/02 (毎日新聞)
7世紀にもハートの形で贈り物?  鉄刀のはばきに心葉紋
 兵庫県八鹿町浅間の西山2号墳(7世紀初頭)から出土
2004/02 (読売新聞)
排水溝確認、横穴式石室の可能性高まる  今城塚(いましろづか)古墳@大阪府高槻市
2004/02 (読売新聞)
神像の護身刀が初出土=奈良・吉備塚古墳
2004/02 (時事通信)

飛鳥・奈良


最古の壁画、炎が残す 法隆寺で7世紀前半の焼けた破片60点出土
2004/12 (産経新聞)
聖徳太子描かせた?壁画=7世紀初頭、法隆寺で−焼けた断片百点、焼失裏付け
2004/12 (時事通信)
最古の本格彩色壁画か 法隆寺若草伽藍跡で出土
若草伽藍の壁画が出土したのは初めて。上淀廃寺(鳥取県淀江町、7世紀後半)や法隆寺金 堂の壁画(700年前後)を半世紀以上さかのぼる国内最古の本格的な彩色壁画で、金堂か塔 を飾った可能性が高いという。
 若草伽藍跡で焼けた壁が見つかるのも初めてで、670年に法隆寺焼失という日本書紀の記 述を裏付け、現存の伽藍がその後の再建とする説を証明する資料。
 町教委は「焼失の歴史を証明するだけでなく、飛鳥時代に彩色壁画はないという常識も覆し た。  
2004/12 (共同通信)
奈良時代の役所「山作所」跡、見つかる…大津
奈良・東大寺の造営などで木材を調達した奈良時代の役所「山作所(さんさくしょ)」の関連施設 とみられる8世紀中ごろの掘っ立て柱建物跡13棟などが、大津市関津の関津(せきのつ)遺跡で見 つかったと、滋賀県教委が11日、発表した。山作所に関する遺構が見つかったのは初めて。
 建物跡は最大で南北8・4メートル、東西4・2メートル。うち9棟は、床を支える柱がある「総 柱(そうばしら)建物」という構造で、倉庫とみられる。硯(すずり)や墨書土器も出土した。
 山作所は、近江や伊賀などに置かれ、木の伐採や製材、運送を担当したが、実態は不明。木を切り 出したとされる田上(たなかみ)山に近いことなどから、県教委は正倉院文書に登場する「田上山作 所」に関係する施設と推測した。
 「万葉集」には、藤原宮(694—710年)の造営に使う建築材を田上山から切り出し、いかだ にして宇治川を使って運んだことが詠まれている。  
2004/11 (読売新聞)
藤原京跡 北端の東西道路を確認 京域確定に貴重な資料
2004/09 (毎日新聞)
蘇我馬子邸跡に「柱穴3基」出土
2004/08 (読売新聞)
長屋王の所領か=邸宅の瓦供給した窯跡−奈良
2004/05 (時事通信)
奈良時代に貝殻の顔料=正倉院宝物の伎楽面
2004/05 (時事通信)
大規模邸宅の掘っ立て柱建物跡とみられる柱穴  奈良・法華寺境内 藤原不比等の邸宅跡か?
2004/04 (毎日新聞)
奈良時代の郡役所「郡衙(ぐんが)」跡@三重・久留倍(くるべ)遺跡
2004/02 (毎日新聞)

平安以降


平安遷都後も70メートル級塔=桓武天皇の力で?−奈良の大安寺
 奈良時代に国家的寺院として栄えた大安寺(奈良市)の西塔が、平安京遷都(794年)後の9世 紀前半に建立された可能性が高い、と奈良市教育委員会が11日、発表した。  同寺では、桓武天皇(在位781〜806年)が平安京遷都前、父の光仁天皇と生母の法要を営ん だ。河野良文・大安寺貫主は「西塔の建立にも桓武天皇の力が注がれたのではないか」と推測してい る。  七重塔だった西塔は、高さ70メートル級と東大寺七重塔(100メートル級)に次ぐ規模だった とされる。大安寺には奈良時代に東塔があったことは文献に記載されているが、西塔は平安時代中期 (10世紀中ごろ)に落雷のため焼失したとされ、建立時期は不明だった。  
2004/11 (時事通信)
大安寺・西塔、70メートルの七重塔?…基壇跡発見
2004/11 (読売新聞)
平城宮跡出土の荷札木簡、初めて「陸奥国」確認 品物は昆布
2004/07 (読売新聞)
<平城宮跡>「陸奥の荷札」確認 67年発見の木簡再調査
奈良市の平城宮跡で1967年に見つかった奈良時代の木簡が、陸奥国(東北地方北部)から都に 昆布を納めたことを記した荷札木簡であることが21日までの奈良文化財研究所の調査で分かった。 同宮跡で、陸奥国からの荷札が確認されたのは初。陸奥国では、正式に律令に定められた「調」「 庸」など税として納めた品物は都に運ばれず現地で消費されていて、昆布など特別な献上物も同様と 考えられていた。朝廷の地方支配のあり方などを探る史料となりそうだ。  67年3月、宮跡東部で発掘され「損傷が激しい」と報告されていた木簡を、赤外線テレビカメラ で再調査。国名と思われる部分の1文字目に「こざとへん」らしきものが見え、正倉院文書などと字 体を比べた結果「陸奥国名取郡」と書かれているのではないかとした。「篭」という海産物の重さの 単位も見られたことなどから、昆布を運んだ荷札木簡と結論づけた。  「名取郡」は現在の宮城県付近で、当時東北地方に住み、異民族とされていた蝦夷(えみし)との 戦いの前線だった地域。平安時代の政治の細かい取り決めを記録した「延喜式」には、陸奥国の調庸 は現地の地方官庁の財源にするとあり、外征や蝦夷との交渉に使われていたらしい。この取り決め は、奈良時代にさかのぼるともされる。天皇の食卓への献上物である「贄(にえ)」の実態などにつ いて、議論となりそうだ。【最上聡】  寺崎保広・奈良大学教授(日本古代史)の話 昆布はこの地方の特産品で、特別に都に運ばれたも のではないか。現地で発送の記録がないかなど、改めて調べる必要があるだろう。(毎日新聞)  
2004/07 (毎日新聞)
平安貴族、のろいの願掛け?=邸宅跡から男女の人形−京都
2004/06 (時事通信)
最古の神社、藤原頼通の建立か 1060年代と測定 宇治上神社 対岸に平等院、宗教観反映
2004/02 (時事通信)

past 北日本

 

先史時代


大型竪穴住居 5000年前の北海道 大人80人が車座に
北海道森町「森川3遺跡」 縄文時代前期末 土ぶき屋根の竪穴式住居跡  
2004/12 (毎日新聞)
住居遺跡 縄文時代中期末の壁立式住居の建築材 北海道
2004/09 (毎日新聞)
「縄文の壁」…北海道斜里町の来運(らいうん)1遺跡で建材出土
縄文時代中期(約4000年前)の国内最古の壁立式平地建物の壁とみられる建材が見つかった。  壁立式は、竪穴式や高床式と異なり、平地にパネルのように壁を立てる様式。縄文期の平地建物に使われた壁は、これまで見つかっていなかった。  建材は、炭化した棒状の木材が格子状に組み合わされた形で出土した。上部に薄く火山灰の層があったことから、泥が建材に塗られていたと考えられる。  
2004/09 (読売新聞)
長さ34mの環状列石出土 北海道で最大級  上磯町「館野遺跡」縄文時代後期
2004/06 山陰中央新報  

先史時代


壊れた土器に新たな文様 中越地震被災の県立博物館
約5000年前の縄文時代中期に作られた「加曽利E式土器」  
2004/12 (共同通信)
<金取遺跡>石器分布調べる第3次発掘始まる 岩手 日本最古?
2004/06 (毎日新聞)

past 東日本

先史時代


最古の銅鐸鋳型 愛知・朝日遺跡 「謎の青銅器」解明へカギ
菱環鈕(りょうかんちゅう)式と呼ばれる最も初期の銅鐸をつくる際に使ったとみられる石製鋳型の破片が/一緒に出土した土器などから弥生時代中期前葉(紀元前三−前二世紀ごろ)/菱環鈕式は、銅鐸本体の上部にある半円形のつり手部分の断面がひし形なのが特徴。/砂岩でできており、鋳型全体は縦二十−二 十五センチと推定/焼けた跡があり、実際に製作に使われたとみられるが、この鋳型でつくられた銅鐸は見つかっていない。使用後に割って砥石にしたらしく、一部に磨いた跡があった。
≪「東海で見つかるとは意外」≫
「最古段階の鋳型が濃尾(平野)で見つかるとは全く意外で、研究者は誰も予想していなかっただろう。鋳型に刻まれた紋様は濃尾の土器にはなく近畿の紋様だ。近畿から工人が出張したという考えもある が、青銅器製作には大掛かりな装置が必要で、出張するより製品を送れば済む。どう考えても問題が残るものの、出たことは事実。 事実は小説より奇なりという気持ちだ」  
2004/12 (産経新聞)
旧石器:同一層で北方系と南方系が出土  馬見岡(まみのおか)遺跡@群馬県笠懸町
2004/07 (毎日新聞)
東日本最古の墨書土器発見  千葉県流山市・市野谷宮尻(いちのやみやじり)遺跡 3世紀末 漢字で「久」
2004/03 (毎日新聞)
縄文晩期の階段状遺構出土、土器片で“舗装”…千葉流山市・三輪野山(みわのやま)貝塚
2004/03 (読売新聞)
弥生時代では東日本最大の掘っ立柱建物跡発見  一色青海(いっしきあおかい)遺跡@愛知
2004/01 (毎日新聞)

past 九州

先史時代


「最古級」?石器70点出土=長崎県平戸市教委が発表
2004/10 (時事通信)
<弥生時代遺物>魚を彫ったクリの板が出土 長崎・門前遺跡
2004/07 (毎日新聞)
日本最古の本格的な護岸遺構 長崎・原(はる)の辻遺跡
2004/06 (毎日新聞)
青銅器 弥生中期に製造の鋳型片出土 熊本・八ノ坪遺跡
2004/04 (毎日新聞)
弥生時代の石剣3本=副葬品、朝鮮半島から?  雑餉隈(ざっしょのくま)遺跡@福岡
2004/03 (時事通信)
弥生時代の木製棺おけ5基発見 ほぼ完全な状態 門前遺跡@長崎
2004/02 (時事通信)
弥生時代後期の祭祀遺構多数発見 唐原(とうばる)遺跡@福岡  東九州では最大規模
2004/01 (毎日新聞)

古代・古墳

 

奈良・飛鳥
以降


走る動物描いた鏡出土=平安時代の集団墓地から−福岡
2004/03 (時事通信)

past ほか


日本図 最古と確認 鹿児島・坊津町の歴史資料センターに
2004/12 (毎日新聞)


 以上、 →2004年の記事でした


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